逃げて惨めでダサい経験をするからこそ学べることがある。

大事なのは、どんな経験からも学び取ろうとする姿勢であると常々思っています。

これは愛媛県松山市学習塾ファタリタ塾長(旧:学習塾アフェッティ久米教室)、末田健人が実際に経験したダサい話。

野球経験ゼロからの野球部に入部

私は高校一年生の時、野球経験ゼロの状態で硬式野球部に入部した。

中学時代に野球ゲームにハマり、「野球って超面白いじゃん!やりたい!」という気持ちだけで入部を決めたのである。

高校野球部といえば春・夏の甲子園が全国放送されるほど注目される部活動でそれに比例するように練習がきつくなっているのが通例だ

平日は遅くまで練習するのが当然で、もちろん朝練もある。休日も基本的には1日練習か練習試合だ。

休みはほとんどないのが野球部の暗黙のルールで、そこに学業まで加わるため自由な時間なんてほとんどないのだ。

そのことを当時の私は全くわかっていなかった。

入部一ヶ月、早速後悔

入部して最初の1ヶ月くらいは、ゲームで味わった感動を実際に経験できる楽しみもあって楽しかった。

だが、だんだんと疲労と休みの少なさに不満の方が大きくなっている自分がいた。

練習試合も一年生である上に初心者の私が出場できるはずもなく、外野のファールゾーンでボール拾いの日々が続いた。

「休みもないし、試合にも出られない。思ってたのと全然違うじゃないか!」

当たり前やろ、と昔の自分が目の前にいればツッコミを入れるところである。

野球部に入ったことをだんだん後悔し始めたのがこの時期である。

野球部時代の最も痛かった出来事

しかし、当時の私は自分が置かれている状況を理解することができていなかったのだと思う。

ある日、私は2泊3日の京都遠征に同行していた。

全部で6試合程度ある遠征で、私としては「1試合くらいは代打で出してもらえるだろう」

という甘い考えで少しばかりワクワクしていた。

しかしなかなかそのチャンスが巡ってこないまま、3日目の最終日、ツーアウトランナー1塁の場面。

ついに監督に呼ばれた私はワクワクしながら「やった!代打だ!」と近づいたのだが、監督は

「末田、代走いけ!」と私に指示を飛ばしたのだ。

初心者の私を代走でも出してくれたのだからありがたい。

だが、部活動の厳しさを全くわかっていない自己中坊やだった私は、

そんな温情には全く気づけなかった。

代走かよ!と心の中で文句を言いながらファーストベースについたが、

結局バッターがすぐにアウトになってしまい、そのまま守備につけず交代。

出場機会約3分で、私の2泊3日の遠征は幕を閉じた。

 

御礼を告げず退部届けを提出

練習試合で悔しい思いをしながら夏、秋、冬と練習を続けてみたものの、急激に上手くなるはずもなく、当然試合に出られる気配は一向にない。

「これがあと2年続くのか…」

残り2年間が途方もなく感じ、結局高校2年生に上がる直前の春休みに退部届を提出した。

親にはもうちょっと続けてみたらと言われたが、

「友達と漫才をやりたいからやめる」と適当な言い訳をして辞めさせてもらった。

しかしその漫才も結局続くことなく、コンビも自然消滅した。

ダサい。

しかも、未経験の私に代走のチャンスをくれた監督に何も言わずに退部を決めてしまい、

基本的な礼儀すらなっておらず相当ダサい。

もはや記憶すら曖昧だが、担任の先生に退部届を提出する始末と、

高校1年生の私はダサさで構成されていたといっても過言ではない。

どんな経験からも学び取ろうとする姿勢

正直、野球部時代の思い出は恥ずかしくて、進んで人に話せるものではない。

だけど、ダサくて惨めで、思い出したくもないような体験から、たくさんのことを学ぶことができた。

きつい練習のおかげで基礎体力が身についたし、本気の部活動のきつさを身をもって体験できた。

上述はしていないが、自分が集団競技に向いていないこともわかったし、上下関係の厳しさが苦手だということも知ることができた。

逃げたし、辞めたし、諦めた。

けれども、そこには確かに学びがあった。

 

逃げて惨めでダサい経験からこそ学べることがある。

逃げずに戦った人は、逃げた人には得られないたくさんの学びがあるだろう。

でも、逃げて惨めでダサい思いをした人にも、逃げずに戦った人には得られないたくさんの学びがある。

 

こうしてブログにしてみたのも、自分が経験したダサい体験を、

改めて振り返ることで自分の大事な「学び」にするためだ。

どんなにダサい経験からも目を逸らさずに学び取ろうとする姿勢が大事だと、改めて思わされる。

これからもダサい話と向き合い続ける

もちろん、今でもダサい話は進行形で生まれている。

つい先日も投稿したブログの内容があまりに酷すぎて各所からご指摘をいただき、削除することになった。

27歳にもなって、これは相当ダサい。

しかし、こうやって指摘をくださる方々、失敗に対してアドバイスしてくださる方々のおかげで、自分の考えはもっと丁寧に説明する必要があることがわかったし、考えを改める必要性があることにも気づくことができた。

自分の失敗を美化するつもりはない。

だけど、そんなダサい話と向き合い、次につなげようと思うからこそ前進できる。

これからも僕のダサい話は増え続けるだろう。

その度に振り返って学び取り、自分の「軸」をしっかりと伝えられるよう、

過去の自分のことをもしっかり受け止めていきたい。